うのぶろぐ

好きなことを好きなように。

ラジオ

みなさんおうち時間いかがお過ごしでしょうか。

恐らくここひと月で百万回書かれた書き出しだが敢えてこの言葉から書き出してみることにする。

自分は元来インドアな性分なこともあり終わらない春休みのような感覚で過ごしている。要は特別しんどいわけもなく、むしろ案外楽しんでいるという。

(まあもちろんライブが無くなったり、カラオケに行けなかったり、会いたくても会えないひとがいたり、それはしんどいが今回の内容とは関係ないのでまたの機会に話したい。)

 

そんな僕がこの一ヶ月で一番変わったことといえばラジオを聴くこと時間が増えたということだろうか。

元々ラジオを聴くことは好きだったしむしろ習慣になっているが、自分の性格を考えてみると好きになるに時間はそうかからなかった。

自分は昔から無意識に逆張りすることが多かった。他の人と違うことをしたい。流行りに乗っかるのはダサい。誰よりも「個性」を出したい。

こんなこと考えてる奴なんか山ほどいるわけで、この考え方自体がもはや没個性だとわかったのはつい最近だ。

 

そんな僕が中学に上がると同時に親から与えられたのがミニコンポだった。親としたらリスニング系の課題が自分の部屋でできるようにということだったんだろうが、息子は内蔵されたラジオ機能に夢中となった。同世代に「ラジオ」を趣味にしている友人はおらず、「他人と違う」コンテンツに興味を持つことは至極当然のことだった。必死にアンテナを伸ばし電波を探した。

 

実家が山がちだったこともあり、AMの電波は雑音に塗れていたが、それでも十分だった。ノイズの中に僕の居るべき場所がある。僕は本気で思った。

FMでも面白いコンテンツを探した。そいえば、はじめてのロックバンドとの邂逅もラジオだった。

夢中になった番組はiPodをコンポの前に置き録音してまで聞いた。

高校生になるとradikoを用いた。地元では聞けない番組も鮮明に映った。

ラジオが中心となって僕の思春期を形成したといっても過言ではない。

 

ここでは流行り廃りも関係なかった。それがどこまでも心地よかった。ラジオスターが見るどこまでもナナメな宇宙は僕が見る世界よりひねくれていたが不思議と美しかった。

価値観の近い友人と教室の隅でだべっているような錯覚がそこには確かにあった。

 

自分は人と違うと思う手段の一つだったラジオ。今となってはそれを同じように面白いと感じる人にたくさん出会えた。

彼のナナメが暮れなずむように僕も斜に構えることは少なくなった。

 

ラジオスターが語るエピソードトークはまさしく生き様。

彼らの生き方と自分とを重ねることで僕らは強くも優しくもなれる。 

 

文責 うの

ナナメの夕暮れ (文春e-book)

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