BUMP OF CHICKENのテーマ
僕は音楽を聴くことが好きだ。
何もない毎日も音楽があれば幸せだ。好きなアーティストの新譜が発表されればワクワクするし、かっこいい音楽に出会ったときは心躍る。
そんな音楽の楽しみを最初に教えてくれたのはBUMP OF CHICKENだった。
小学生の頃、耳にする「音楽」なんて小学校の音楽の授業か、親の車の中で流れる徳永英明だった。(その影響で今もたまに徳永英明を聞きたくなる。定額配信で聞けて本当によかった。)
そんな僕がラジオと出会い、そこで衝撃を受けたのがBUMP OF CHICKENだった。
正直初めて聞いた曲なんて覚えていないが「俺のために歌っている」と、そう感じたことは覚えている。その年の誕生日、初めてCDを買ってもらった。『COSMONAUT』何度も何度も聞いた曲たちだ。
少し経つとベストアルバムが発売された。
なけなしの小遣いは惜しみなく使った。
近くのレンタルショップに足繫く通った。
夢中になれるものにようやく出会えた。
大切な曲が増えていった。
僕はボーカル藤原基央の書くあたたかい詩が好きだ。
今回は大好きな彼らの歌詞に着目して特に好きなところを言語化してみようと思う。
ray
Mステや紅白歌合戦で披露し、今や彼らのライブでも定番の曲になっている『ray』
キャッチ―なメロディーとそれまでのバンプにはなかった電子的な音楽が特徴的なこの曲だが、その印象とは裏腹に詞は
お別れしたのはもっと 前のことだったような
悲しい光は封じ込めて 踵すり減らしたんだ
と冒頭から「別れ」を唄っている。
歌詞全部の解説なんて野暮なもんはしたくないから(みんなそれぞれの受け取り方でいいと思ってるから)一節だけ抜き出してみると
寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから
サビ前のこの一節。僕はこの部分が特に愛おしいと感じる。
お別れした「君」はそこにはもういない。それは寂しいことだが、寂しいと感じたことに安心してるように見える。
この曲に限らずバンプの曲は抽象的な歌詞多い。何故「君」とどんな「お別れ」をしたかに関しては聞き手の想像に委ねられている。
この一節からは「君」が「僕」にとってどんな存在だったのか思いを馳せることができるのではないだろうか。
また、この曲は
大丈夫だ この光の始まりには 君がいる
と締めくくられる。ここにいない「君」を思うことで大丈夫だと思う。
会いたくても会えない人がたくさんいるだろうこの期間にこそ刺さる曲だと感じる。
HAPPY
BUMP OF CHICKEN流の誕生日ソングそれがこの『HAPPY』という楽曲である。
誕生日ソングといえど、ただ「誕生日おめでとう!いえーい!」という曲ではもちろんない。どちらかというと「年を取る」ということはどういうことなのか、「大人になる」って「生きる」とは。そういうことを考えさせられる曲だと思う。
この曲において伝えたい一説は
終わらせる勇気があるなら 続きを選ぶ恐怖にも勝てる
無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて
さらに曲の終盤では
続きを進む恐怖の途中 続きがくれる勇気にも出会う
無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて
と形を変える。
生きる上で決断を下さなくてはならないタイミングはたくさんある。それを乗り越えることがどんなに困難を極めるのか、おそらく藤原基央はそのことを誰よりも考えているのではないだろうか。そのうえでそれをそのまま肯定するのではなく「無くした」ものに焦点をあてる詩は何回聞いても惚れ惚れする。彼がシンガーで、ギタリストで、ロックバンドであればあるほどこの文章は意味を持ち続けるように思うのだ。
おわりに
今回は2曲を例に僕のバンプ愛を語ってみた。
彼らの曲には「やればできる!もっとがんばろう!」というマインドの曲は一つもない。むしろ「わかるよ。泣いていいんだよ。泣き終わるまで俺がそばに居るから。」と曲たちがそっとハンカチを渡してくれる。そんなあたたかい曲が大好きだ。冗談じゃなくそんな曲たちに幾度となく救われてきた。
この期間に誰かのことを想ってBUMP OF CHICKENの音楽に耳を傾けてみるのもいいんではないだろうか。
これからも僕は彼らの歌に助けられながら生きていく。大好きだ。