うのぶろぐ

好きなことを好きなように。

初期衝動

最近見た映画がすごくよかった。

自分は別に特別映画が好きと言えるほうではないけど、年に数回映画館に行きたくなる時がある。今回もそうだった。

『サマーフィルムにのって』

映画製作に打ち込む高校生のひと夏。熱くてわくわくする映画だった。

 

最近、僕は「初期衝動系」の創作物に心動かされることが多い気がする。

突き動かされるよな出会いや、運命を変える一瞬、自分の青春を賭して捧げるもの。それらが描かれている映画や漫画や音楽が愛おしいと感じる。

それは自分に足りないものだからだろうか。今の自分が青春とは随分かけ離れた場所にいるからだろうか。

 

自分にとっての初期衝動を思い返した。

物語になるような大それたものではなかったじゃなかったけど確かにあった。

 

レンタルショップで5枚1000円の旧作アルバムを選んでいた時間

必死にアンテナを伸ばして聞いたFMの電波

毎週iPodに録音して繰り返し聞いた二時間のラジオ

いいと思った音楽はメモしてあとから調べた

初解禁を心待ちにした曲

初めてのライブはサンポートホールで見たクリープハイプ

 

決してキラキラした日じゃなかったけど、その衝動が今の自分を支えている。

 

まだまだわくわくしたい。ずっと新しいことにわくわくしていたい。

あの日のわくわくを思い出したかったのかも。

 


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酔った勢いでダサい文を書いた。恥ずかしくなったら消す。

 

人は必要な時に必要な人と出会う

1年ぶりにブログを書く気になった。どんな文体でどんなことを書いていたかわからない。1人称すらわからない。かといって過去の自分を見に行く勇気もない。

まあ、別に誰も待ってないし誰にも読まれないと思って適当に今思っていることを素直に書く。

 

就活がしんどい。

そんなことぐらいを覚悟の上で進路を考えたはずなのにしんどい。俺の覚悟とはそんなものなのか。心の中のブチャラティに毎日アリアリされてる。

そんなこと言っててもしゃーないから自分で自分を鼓舞するために文字を書く。心を楽にするために。

 

僕は音楽が好きだ。バンドサウンドもアイドルもヒップホップも好きだ。アイドルに夢中になるきっかけは乃木坂46だった。今となっては彼女たちのライブを見ることが心の薬になっている。配信万歳。余談ですが、先日の3期ライブも本当に心が震えた。

僕が乃木坂を初めて身近に感じたのはファンになる前「SCHOOL OF LOCK!」だった。僕が中学生の頃、今はもう卒業してしまった橋本奈々未さんが帯のコーナーを持っていてよく聞いていた。

BUMP OF CHICKENに廊下であって挨拶できたことを嬉しそうに語っていた。気がする。トップアイドルもバンプに救われるんだと思ったことを憶えている。

このままだと乃木坂の話で終わりそうだと思って200字くらい消した。

 

とにかく最近、橋本奈々未さんがラジオの中で話していたことをなんとなく思い出した。

「人は必要な時に必要な人と出会う」

卒業発表したときだったか、最後のラジオのときだったか詳細は思い出せないけどこの言葉が当時の僕に刺さったことは確かだった。(本当だったらちゃんと出典を明記すべきだと思うけど、これはあくまでメモ、雑記、思考の整理だから許してクレメンス。)

 

人は必要な時に必要な人と出会う。それだけでなく、必要な音楽に出会う、必要な本を読む、必要な言葉に出会う、必要な選択をするはず。

拡大解釈甚だしいけどそう思う。今までもそうだったし。そう思う方が生きやすいから。

 

つまり、祈ってきた企業なんて所詮縁がなかっただけなんですよ。合わねーとこに入社しなくてよかった。俺様のポテンシャルを最大限引き出せる企業はそこじゃなかったんですよ。チョココロネだったんですよ。あーいとぅいまてーん。

 

就活以外にもなにかと不安なことや心配なことが絶えない日々を過ごしているけれど、今自分にできることは目の前のことを最善にこなすことのみ。あと、何かに没頭することで、あまりに非力な自分の力ではどうしようもないことから逃避するのみ。

 

【今まで試してみて没頭するのに向いているもの】

オンラインライブ衝動爆買い、音楽鑑賞、料理、散歩(梅雨になると封じられてしまうのがキツイ)、ラジオを聴くこと、本を読むこと、友達と話すこと、動物の可愛い動画を見ること、高い買い物をすること

 

【最近嬉しかったこと】

好きな芸人さんのラジオでメールが読まれて「面白い」って言われたこと、一度終わった好きなラジオが復活したこと、実家に顔見せたら親がめっちゃ心配してくれたこと、久しぶりに行ったライブハウスのライブがどちゃくそかっこよかったこと、最近見た映画がすごく面白かったこと、久しぶりにしたガチャガチャ(スマホゲームじゃなくてリアルの方のガチャ)の聖闘士星矢のミニフィギュアがいい感じだったこと…

 

なんか楽しいこと思い出したら何とかなりそうな気がするなあ!

 

久しぶりにES以外の文章書くからとっ散らかしっぱなしな気がするけどまとめず終わります。すっきりしたので。自己満足。心の満腹。

 

最後に、この曲がめちゃくちゃいいです。

 


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宝石になった日

 緊急事態宣言が解除された。勿論まだまだ油断を許さない状況であることには変わりないが一応今までより周囲の目を気にせず県境をまたげるようになった。

 免許の更新も控えていた僕は数ヶ月ぶりに実家にか顔を見せようという気持ちになった。久しぶりの実家はやはり落ち着く。(オンラインで授業や課題が送られてくるため完全なリラックスというわけではないが。)

 そして、私は実家のコルクボードに刺さった一枚のチケットを見て郷愁を感じ、今だからこそこれについて語るしかないと思った。

 

ということで思い出に残っているライブの一つを語りたい

しばらく思い出のライブを語るシリーズやるかもしれん。

 

はじめてのドーム

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BUMP OF CHICKEN STADIUM TOUR 2016 "BFLY" 

 その今回のブログを書くきっかけになったチケットがこれだ。2016年2月発売されたBUMP OF CHICKENのデビュー後8枚目のアルバム『Butterflies』のリリースツアー『BFLY』のチケットである。

 私のバンプへの思いは以前このブログでも記したが、何を隠そう私が初めて行ったバンプのライブがこの時だったのだ。

 

 2016年4月10日、前日の9日から大阪は京セラドームで始まったこのツアー。私は、当初参加する予定ではなかった。当日高校生だった私にとってライブは地元開催に限ると思っていた。交通費、宿泊費をかけることに抵抗があった。なんせ高校生、親を説得するのには腰が折れるし、お金の問題もある。私はツアーに参加することを諦めていた。

 

 しかし、神はいた。友人の先輩が予定が合わず席を譲ってくれたのだ。私は必死に親に訴えこのチャンスをものにした。私が初めてのバンプに、初めてのドームに心躍らせたことは言うまでもない。

 初めての「遠征」は最高だった。初めて生で聞くバンプの演奏に感激し、涙を流した。決して近いとは言えない席だったが同じ空気で聞く藤原基央の声は優しくすぐそばにあった。

 

 その日は藤くんの誕生日(4月12日)が近かったこともあり僕らはみんなでハッピーバースデーを歌った。Wアンコールではそのお返しという形でメガネをかけた(彼曰く初めてステージ上でメガネをかけたとのこと)藤くんから弾き語りの逆サプライズ。選曲はまさかの「はじめてのチュウ」。最高だった思い出。

 

 奇しくもバンプとしてもレアなライブになったこの日を僕は忘れない。ライブを見て泣いたのはこの日が最初かもしれない。

 

 ライブなんていつも不要不急で、僕たちが生きる上ではそんなものなくても成り立つに決まっている。それでも僕たちがそれを望むのは、その音楽が好きというだけのつながりの他人と共に歌い共に心振るわせるから。その共振を感じれることが幸せだから。ドームが、ホールがライブハウスが見せてくれる夢が好きだから。

 

 「新しいライブの形」が提案されても僕はそのことを忘れたくない。元の通りライブができるのは全てが落ち着いた最後の最後になるだろう。それまで僕らにできるのは「思い出すこと」と「忘れないこと」ではないだろうか。

 

 最後にこのツアーの主役のアルバム『Butterflies』から「宝石になった日」の一説を。

あの温もりが 何度も聞いた声が 君がいた事が 宝石になった日

忘れないから 笑っていける 涙越えても ずっと 君といる

 


BUMP OF CHICKEN「宝石になった日」

 

 

DAY DREAM BEAT

最近、僕がハマっていることがひとつある。

今まで読んでこなかった漫画を読むことである。

流行り物を毛嫌いしてきたが故に当たり前にみんなが読んでいる漫画を読んでなかったとふと思い立った。

そんなこんなで先日、「SLAM DUNK」を読み終わった。名作と謳われているだけあってそれはもうめちゃくちゃ面白かった。主人公たちがライバルと、時に仲間と鎬を削り合いながらバスケットボールに夢中になっていく様はかっこよかった。

今までこの漫画を読まずにいた理由の一つに自分とは正反対の物語であると思っていたということがある。スラムダンクといえばジャンプの黄金期を支えた漫画の一つであるが、ジャンプのテーマである「友情」、「努力」、「勝利」とは無縁の人生を送ってきた。

僕の学生時代は、主人公桜木花道とは正反対とも思える生き方だった。「美化されまくったヤンキー 漫画じゃ描かれなかった迷惑かけられた側」だった学園生活。 要は、スクールカーストの上の方では決してなく、それでも上位層には負けまいとしているような。虎視眈々と反逆心だけはこさえているような。そんな語るに及ばない生徒Aだった。

僕にとってそんなに誇れるものじゃなっかたような中高の学校生活を「青春」と呼べる代物に昇華させてくれた音楽がある。そんなバンドである『ハンブレッダーズ』について今回は話したい。(毎回本題に入るまでの前振り長くね?)

 

DAY DREAM BEAT


ハンブレッダーズ「DAY DREAM BEAT」Music Video

この曲を聞かなかったら僕はこのブログを書かなかっただろうという曲がこの「DAY DREAM BEAT」だ。大学に入ってから知ったバンドだったのだが、この曲を一度聞いてから心が熱く震えたことを今も覚えている。

全フレーズ引用したいぐらいトキメキであふれている曲。この曲は今までの「青春」の概念をぶち壊す、それほどまでに革新的な歌だと思う。

この曲を聞くと自分の生きてきた日々もそれはそれで「青春」だったんだなと肯定できる。

ラスサビでは

 

ひとり 登下校中 ヘッドフォンの中に夢中

唇だけで歌う 自分の歌だとハッキリわかったんだ

 

と綴られる歌詞。まさしく「自分の歌だとハッキリわかった」瞬間がたくさんある。部活に打ち込むことが「青春」と呼ばれるように、ケンカに明け暮れることが「青春」と呼ばれるように、僕が曲に夢中になれたこともまた「青春」だったんだなと思えた。

この曲に限らずハンブレッダーズの歌は僕みたいな人間を肯定してくれる。教室の隅っこの同じ目線で歌ってくれるように思えるのだ。

 

 

ユースレスマシン


ハンブレッダーズ「ユースレスマシン」Music Video

そんな彼らは今年の初めにメジャーデビューを果たした。その時のアルバムのリード曲がこの「ユースレスマシン」である。

音楽を含む「娯楽」に対して「なくたっていいもの」であると同時に「かけがえのないもの」であるという尊い矛盾を提示し、それでも、その「娯楽」で世界を変えてやるという彼らの意思と覚悟を感じる一曲になっている。

見る人から見るとたかが娯楽。それでも僕らにとってはされど娯楽である。

 

表紙で買ったレコードが素晴らしかったんだ

ベスト盤には入ってないあの曲が好きなんだ

わかりやすいモノだけが答えじゃないから

僕らはまだ笑えんだ

 

僕はこの歌詞が大好きだ。

無料で何でも手に入れられることが本当に幸せなのか。便利になり過ぎることが本当に幸せなのか。不自由な中で音楽を楽しんでいたあの時を、彼らは肯定してくれる。

このフレーズに限らずこの曲では全編を通して趣味に熱中した日々を肯定してくれている。

それが「この先の人生に必要がないもの」だったとしても。「心の奥がざらつくような一瞬」をくれるから。

 

終わりに

ハンブレッダーズは教室の隅っこの僕に青い春を教えてくれた。

ライブハウスで見る彼らはそんな隅っこの光のまま輝いていた。ここにくれば青春をまだ取り戻せると本気で思わせてくれた。ヘッドフォンの外の宇宙で大きな音を浴びれる日を僕はいつまでも待ち望んでいる。


ハンブレッダーズ「ライブハウスで会おうぜ」Music Video

BUMP OF CHICKENのテーマ

僕は音楽を聴くことが好きだ。

何もない毎日も音楽があれば幸せだ。好きなアーティストの新譜が発表されればワクワクするし、かっこいい音楽に出会ったときは心躍る。

そんな音楽の楽しみを最初に教えてくれたのはBUMP OF CHICKENだった。

 

小学生の頃、耳にする「音楽」なんて小学校の音楽の授業か、親の車の中で流れる徳永英明だった。(その影響で今もたまに徳永英明を聞きたくなる。定額配信で聞けて本当によかった。)

 

そんな僕がラジオと出会い、そこで衝撃を受けたのがBUMP OF CHICKENだった。

正直初めて聞いた曲なんて覚えていないが「俺のために歌っている」と、そう感じたことは覚えている。その年の誕生日、初めてCDを買ってもらった。『COSMONAUT』何度も何度も聞いた曲たちだ。

少し経つとベストアルバムが発売された。

なけなしの小遣いは惜しみなく使った。

近くのレンタルショップに足繫く通った。

夢中になれるものにようやく出会えた。

大切な曲が増えていった。

 

僕はボーカル藤原基央の書くあたたかい詩が好きだ。

今回は大好きな彼らの歌詞に着目して特に好きなところを言語化してみようと思う。

 

ray

Mステや紅白歌合戦で披露し、今や彼らのライブでも定番の曲になっている『ray』


BUMP OF CHICKEN「ray」

キャッチ―なメロディーとそれまでのバンプにはなかった電子的な音楽が特徴的なこの曲だが、その印象とは裏腹に詞は

 

お別れしたのはもっと 前のことだったような

悲しい光は封じ込めて 踵すり減らしたんだ

 

と冒頭から「別れ」を唄っている。

歌詞全部の解説なんて野暮なもんはしたくないから(みんなそれぞれの受け取り方でいいと思ってるから)一節だけ抜き出してみると

 

寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから

 

サビ前のこの一節。僕はこの部分が特に愛おしいと感じる。

お別れした「君」はそこにはもういない。それは寂しいことだが、寂しいと感じたことに安心してるように見える。

 

この曲に限らずバンプの曲は抽象的な歌詞多い。何故「君」とどんな「お別れ」をしたかに関しては聞き手の想像に委ねられている。

この一節からは「君」が「僕」にとってどんな存在だったのか思いを馳せることができるのではないだろうか。

 

また、この曲は

 

大丈夫だ この光の始まりには 君がいる

 

と締めくくられる。ここにいない「君」を思うことで大丈夫だと思う。

会いたくても会えない人がたくさんいるだろうこの期間にこそ刺さる曲だと感じる。

 

HAPPY

BUMP OF CHICKEN流の誕生日ソングそれがこの『HAPPY』という楽曲である。


BUMP OF CHICKEN『HAPPY』

誕生日ソングといえど、ただ「誕生日おめでとう!いえーい!」という曲ではもちろんない。どちらかというと「年を取る」ということはどういうことなのか、「大人になる」って「生きる」とは。そういうことを考えさせられる曲だと思う。

この曲において伝えたい一説は

 

終わらせる勇気があるなら 続きを選ぶ恐怖にも勝てる

無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて

 

さらに曲の終盤では

 

続きを進む恐怖の途中 続きがくれる勇気にも出会う 

無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて

 

と形を変える。

生きる上で決断を下さなくてはならないタイミングはたくさんある。それを乗り越えることがどんなに困難を極めるのか、おそらく藤原基央はそのことを誰よりも考えているのではないだろうか。そのうえでそれをそのまま肯定するのではなく「無くした」ものに焦点をあてる詩は何回聞いても惚れ惚れする。彼がシンガーで、ギタリストで、ロックバンドであればあるほどこの文章は意味を持ち続けるように思うのだ。

 

おわりに

今回は2曲を例に僕のバンプ愛を語ってみた。

彼らの曲には「やればできる!もっとがんばろう!」というマインドの曲は一つもない。むしろ「わかるよ。泣いていいんだよ。泣き終わるまで俺がそばに居るから。」と曲たちがそっとハンカチを渡してくれる。そんなあたたかい曲が大好きだ。冗談じゃなくそんな曲たちに幾度となく救われてきた。

 

この期間に誰かのことを想ってBUMP OF CHICKENの音楽に耳を傾けてみるのもいいんではないだろうか。

これからも僕は彼らの歌に助けられながら生きていく。大好きだ。

 

 

ラジオ

みなさんおうち時間いかがお過ごしでしょうか。

恐らくここひと月で百万回書かれた書き出しだが敢えてこの言葉から書き出してみることにする。

自分は元来インドアな性分なこともあり終わらない春休みのような感覚で過ごしている。要は特別しんどいわけもなく、むしろ案外楽しんでいるという。

(まあもちろんライブが無くなったり、カラオケに行けなかったり、会いたくても会えないひとがいたり、それはしんどいが今回の内容とは関係ないのでまたの機会に話したい。)

 

そんな僕がこの一ヶ月で一番変わったことといえばラジオを聴くこと時間が増えたということだろうか。

元々ラジオを聴くことは好きだったしむしろ習慣になっているが、自分の性格を考えてみると好きになるに時間はそうかからなかった。

自分は昔から無意識に逆張りすることが多かった。他の人と違うことをしたい。流行りに乗っかるのはダサい。誰よりも「個性」を出したい。

こんなこと考えてる奴なんか山ほどいるわけで、この考え方自体がもはや没個性だとわかったのはつい最近だ。

 

そんな僕が中学に上がると同時に親から与えられたのがミニコンポだった。親としたらリスニング系の課題が自分の部屋でできるようにということだったんだろうが、息子は内蔵されたラジオ機能に夢中となった。同世代に「ラジオ」を趣味にしている友人はおらず、「他人と違う」コンテンツに興味を持つことは至極当然のことだった。必死にアンテナを伸ばし電波を探した。

 

実家が山がちだったこともあり、AMの電波は雑音に塗れていたが、それでも十分だった。ノイズの中に僕の居るべき場所がある。僕は本気で思った。

FMでも面白いコンテンツを探した。そいえば、はじめてのロックバンドとの邂逅もラジオだった。

夢中になった番組はiPodをコンポの前に置き録音してまで聞いた。

高校生になるとradikoを用いた。地元では聞けない番組も鮮明に映った。

ラジオが中心となって僕の思春期を形成したといっても過言ではない。

 

ここでは流行り廃りも関係なかった。それがどこまでも心地よかった。ラジオスターが見るどこまでもナナメな宇宙は僕が見る世界よりひねくれていたが不思議と美しかった。

価値観の近い友人と教室の隅でだべっているような錯覚がそこには確かにあった。

 

自分は人と違うと思う手段の一つだったラジオ。今となってはそれを同じように面白いと感じる人にたくさん出会えた。

彼のナナメが暮れなずむように僕も斜に構えることは少なくなった。

 

ラジオスターが語るエピソードトークはまさしく生き様。

彼らの生き方と自分とを重ねることで僕らは強くも優しくもなれる。 

 

文責 うの

ナナメの夕暮れ (文春e-book)

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ラジオ

ラジオ

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徒然なるままにっていうやつ

元々、人のブログを読むことは好きだった。好きなバンドマンも、好きなアイドルも、彼らのブログで見せる「素」が好きだ。SNS以上にありのままの自分の意見を表現できる場のように見えた。その人の内面を覗き見するような感覚はブログ独特のもののように感じる。

また、エッセイを読むことも好きだ。要は文章を通して人間の考えることを知ることは面白いと思っている。話すよりも考えて伝えることができる文章には魅力が詰まっている。

 

自分もやりたいなぁとずっと思ってはいたもののタイミングが見当たらずにずっと先延ばしにしてきたが、いよいよ書き始めるに至る。自粛中の最大の山(ゼミ発表)も終わり、暇を極めている今こそタイミングだと思った。

 

まあ、そんな大それた書き出しで始めたもののそんな大したことを書くつもりは一切ない。

ないっていうかそもそも書けない。

 

僕がこのブログでしたいことは主にただ1つ。

 

 好きなことを語る

 

僕が思うに一番うまいと思う酒は「好きなものについて語りあって飲む酒」だ。

ポイントは「語りあって」ていう部分である。これは自分も相手も同じ熱意を持っている必要がある。

 

でも、そんな都合よく語り合える友人がいつもいるわけじゃない。

てか、そもそもそんな友達も多い方じゃないし。

 

そんな悩みを解決するのが文章なのではないか!

ここは俺が何を書いてもいい場所だ!

うおおおやるぞおおおおおおお

 

 

と、まぁこんな感じ(?)でだらだらと書くので気が向いたら読んでね!

 

文責:うの